ブラックバスを知ったのは、小学校のクラスの仲間たちと話をしているときだったと思う。確か小学校3年生のころ。それまではミミズやうどんでもっぱらフナやコイ狙い。しかし釣りキチ三平(矢口高雄著)をみてブラックバスを知り、そして外国からやってきたバスプロ、マーチンに憧れて将来の夢はバスプロかお坊さん。

 小学校3〜6年まではほぼ毎日ブラックバス狙いで池に通っていた。そのとき使っていたロッドがシマノの秘宝、あのアルミグリップはお年玉で買ったときに、天にも昇る気持ちだったことを今でも覚えている。リールはやはりシマノのバンタム100EX、リョービのキャスプロ5000V、ダイワのミリオネア。しかしどうしてもAbuだけはその当時手が出なかった。ようやくAbuを使うようになったのは、中学に入ってからだった。

 さて小・中学校のころのフィールドといえば、愛知県在住だったこともあり、その当時人気フィールドであった名城公園のお堀。(釣り禁止でした。スイマセン)滋賀公園の池(これも釣り禁止...)戸田川、七宝町用水、描洞ヶ池、小幡緑地公園周辺の池、などなど。自転車・バス・電車と乗り継ぎ、釣り歩いたものだ。

 真夜中数人で自転車に乗り、フィールドへ向かっているとき、よく警官に止められては、「釣りに行く」というと必ず許してくれた。深夜の、徘徊をおおっぴらに出来たころ...中学の3年間も柔道は忙しかったけど、それでもルアーゲームはよくやっていた。そのころのバルサ50やへドンのプラグなどを必死に集めていたものだ。

 さてその後柔道漬けの日々となり、つりどころではなくなった高校時代はライギョのページでも書いたとおり。次にブラックバスと再会したのは、大学一年生のころ。柔道柔道部寮の生活は毎日先輩の世話、寮の当番などで自由時間はなかった。

  しかし同期入学の仲間とふとしたときに釣りの話となり、そこで再びバスのルアーゲームに。今でも仲のよい今仲公彦君と二人でよく大学の池で練習後によくブラックバスを釣ったものである。最初は大学周辺だけであったのが、篠山城のお堀、兵庫県小野市内の野池、琵琶湖と関西全域へと次第にフィールドを広げていった。

  特に琵琶湖の湖北、湖東はまだやっている人も少なくものすごい数の50cm UPのバスを釣ることができた。もっぱらウエーディングに5/8〜3/4ozのラバージグ。それも真冬を狙ってやっていたのだ。今の常吉ブームはまったくなかった頃の話。1990〜1991年の頃だ。本当にブラックバスの楽園だった。とにかく50cm Upばかり。よかったなぁ。
BLACK BASS